- 「火星移住って、本当に実現するのかな」
- 「起業家が『数年後には人を送る』と話しているけれど、あれは本気なの」
- 「そもそも人が住める環境なの」
火星のニュースを見るたび、このような疑問が浮かぶ方もいるでしょう。
結論から書きます。
今の火星は、与圧された居住区なしでは人が生きられない環境です。
有人到達の時期も確定していません。
ただし夢物語として片づく話でもなく、火星の大気から酸素を作る実証はすでに成功しています。
この記事は、宇宙の科学と宇宙産業の情報を一次情報と整合させて発信するASTROWORKS編集部がまとめています。
以下のポイントを解説します。
- 火星が移住先の候補とされる3つの理由
- 重力・大気・気温・放射線という環境の壁
- 輸送、被ばく、酸素と水の現地生産という技術課題
- テラフォーミング構想に対する研究の評価
読み終えるころには、火星のニュースを見たときに「これは実証済みの話か、まだ構想の段階か」を自分で切り分けられます。
ほしまるぼくにとって火星は「近くて遠い星」なんだ。何がどれだけ遠いのか、いっしょに数字で見ていこうね。


火星が移住先の最有力候補とされる3つの理由
太陽系には天体が数多くあります。
その中で火星の名前が繰り返し挙がるのには、距離・環境・計画という3つの理由があります。
太陽系の中で人が到達できる距離にある数少ない天体
第一の理由は、現在のロケットで往復を計画できる距離にあることです。
火星が公転しているのは、太陽から平均1億4200万マイル(2億2800万km)、天文単位でいえば1.5の位置です(出典: NASA・Mars Facts)。
天文単位は太陽と地球の平均距離を1とする単位なので、火星は地球の1.5倍だけ太陽から離れた軌道を回っている、という意味になります。
ただし、いつでも出発できるわけではありません。
地球と火星は速度も軌道の大きさも違うため、最も燃料効率のよい配置になるのは約26か月に1回です。
その機会に出発しても、惑星間の巡航には約200日かかります(出典: NASA・Mars Mission Timeline)。
NASAが検討に使う参照ミッションは、往路180日・火星滞在500日・復路180日という前提を置きます(出典: NASA・Radiation Exposure Comparisons)。
往復ミッション全体では最大3年かかると見積もられています(出典: NASA・Artemis as an Astronaut Testbed for Mars)。
開発の現場から見ると、この26か月という周期は厳しい制約です。
製品開発なら「間に合わなければ来月出す」という選択肢がありますが、火星ミッションでは次の機会が2年以上先になります。
設計凍結の締切が、企業の都合ではなく天体力学で決まる世界です。
自転周期と季節が地球に近く、水の氷も存在する
第二の理由は、生活のリズムをつくる周期が地球に近いことです。
火星は24.6時間で1回転し、これは地球の23.9時間とよく似ています(出典: NASA・Mars Facts)。
より細かくは24時間39分35秒で、地球の1.027日にあたります(出典: NASA/JPL・Mars at a Glance)。
1日の長さが40分ほど長いだけなら、人の生活サイクルも機器の熱設計も、地球の考え方をかなり流用できます。
ただし1年のほうは大きく伸びます。
火星の1年は669.6ソル、地球の日数でいえば687日です(出典: NASA・Mars Facts)。
ソルとは火星の1日を指す単位で、地球の「日」と区別するために使われます。
資源の面でも手がかりがあります。
現在の火星で水が確認されているのは、極域の地表のすぐ下にある水の氷と、塩分を含んだ水の形です(出典: NASA・Mars Facts)。
水は飲料や生命維持だけでなく、酸素や推進剤の原料にもなります。
地球から全部運ぶのか、現地で調達できるのかで、ミッションの成立条件は大きく変わります。
人類の活動範囲を広げる目標として各国が計画に組み込んでいる
第三の理由は、火星が思いつきの目標ではなく、各国の探査計画に正式に組み込まれている点です。
NASAはアルテミス計画について、月での活動を火星に向けた足がかりと位置づけ、地上の模擬環境と国際宇宙ステーションでの研究を積み上げる段階的な方法をとると説明しています(出典: NASA・Artemis as an Astronaut Testbed for Mars)。
JAXAも月周回有人拠点ゲートウェイについて「火星有人探査に向けた拠点としての活動も期待されている」と記載しています(出典: JAXA・国際宇宙探査センター)。
つまり火星は、月での実証の先にある共通の到達点として扱われています。
どの機関も、いきなり火星に人を送る計画は立てていません。
火星が語られるとき、その背景には「人類が地球というひとつの星だけに依存し続けてよいのか」という長期の問いがあります。
地球の外に活動範囲を広げることと、地球を長く保つことは対立しません。
むしろ地球は、人類が外へ向かうための最も重要な研究拠点です。
火星探査で磨かれる閉じた生命維持や資源循環の技術は、地球で長く暮らすための技術と地続きになっています。


火星の環境は重力・大気・気温・放射線が地球と大きく違う
候補である理由を押さえたところで、実際の環境を数値で見ていきます。
地球との差は、想像よりはるかに大きいです。
| 項目 | 火星の値 |
|---|---|
| 地表重力 | 地球の38% |
| 地表気圧 | 地球平均の100分の1未満 |
| 大気の主成分 | 二酸化炭素95.3%、窒素2.7%、アルゴン1.6% |
| 地表の平均気温 | 約-53℃ |
| 気温の幅 | 最高20℃前後から最低約-153℃ |
| 全球的な磁場 | 検出されていない(局所的な古い残留磁場のみ) |
| 1日の長さ | 24時間39分35秒 |
| 1年の長さ | 687地球日 |
重力・気圧・大気組成・平均気温・磁場の値はNASA/JPL・Mars at a Glance 、気温の幅はNASA・Mars Facts の記載によります。
この表の4項目が、そのまま移住の難しさの中身になります。



数字だけ見ると「寒い」で終わってしまうけれど、ぼくが実感したのは空気の薄さのほうだよ。空気が薄いと、暖まりにくいし、減速もできないんだ。
重力が地球より小さく、長期滞在時の人体影響が未解明
火星の地表重力は地球の38%です(出典: NASA/JPL・Mars at a Glance)。
体重60kgの人が23kg程度に感じる環境だと考えると、イメージしやすくなります。
問題は、この「弱いけれどゼロではない重力」で人体がどうなるかが、まだよく分かっていないことです。
これまで長期のデータが蓄積されてきたのは、国際宇宙ステーションの微小重力、つまりほぼ無重力の環境でした。
NASAはそこで分かった影響として、長期の無重力による骨と筋肉の減少、体液の移動、重力環境が変わるときの内耳への影響を挙げています(出典: NASA・Artemis as an Astronaut Testbed for Mars)。
では、38%という部分重力で数百日を過ごした人体に何が起きるのか。
これを直接示す知見は、現時点で公開されているものが限られます。
無重力のデータをそのまま当てはめてよいのか、それとも38%あれば大部分は防げるのか。
ここは推測で埋めるべきではない領域です。
機械設計や材料の仕事をしてきた方なら、この不確かさの厄介さは想像しやすいでしょう。
荷重条件が確定しないまま構造を決められないのと同じで、人体への荷重条件が決まらなければ、居住区の設計も運動設備の要求も、滞在期間の上限も確定しません。
大気は薄く二酸化炭素が主成分で、そのままでは呼吸できない
火星には大気がありますが、そのまま吸える組成ではありません。
NASAは火星の大気を「主に二酸化炭素、窒素、アルゴンからなる薄い大気」と説明しています(出典: NASA・Mars Facts)。
内訳は二酸化炭素95.3%、窒素2.7%、アルゴン1.6%で、酸素は主成分に入っていません(出典: NASA/JPL・Mars at a Glance)。
薄さも桁違いです。
地表の気圧は、地球の平均気圧の100分の1未満にとどまります(出典: NASA/JPL・Mars at a Glance)。
呼吸の問題以前に、与圧なしでは体を外気にさらせません。
「いつか宇宙服なしで火星を歩けるのか」という疑問への現時点の答えは、「与圧された居住区と宇宙服が前提」というものです。
薄い大気は、もうひとつ別の問題も生みます。
大気が薄いと、落ちてくる機体を空気抵抗で減速させにくくなります。
地球への帰還カプセルが大気圏で速度を落とせるのは、厚い大気があるからです。
火星ではその手が使いにくく、着陸技術そのものが課題になります。
気温は氷点下が常態で、砂嵐が数か月続くこともある
火星の気温は、最高で20℃前後、最低で約-153℃まで下がります(出典: NASA・Mars Facts)。
最高気温だけ見ると過ごせそうに思えますが、地表の平均気温は約-53℃です(出典: NASA/JPL・Mars at a Glance)。
氷点下が常態で、たまに条件のよい場所と時間帯だけ0℃を超える、という理解が実態に近いです。
もうひとつ、電力計画に直結する現象があります。
火星では、惑星全体を覆う規模の砂嵐が起きます。
NASAは全球規模の砂嵐を1971年、1977年、1982年、1994年、2001年、2007年に観測したとしており、2007年には1か月にわたる激しい嵐が火星の空を塵で満たしました(出典: NASA・10 Things: Massive Dust Storm on Mars)。
影響は実際の探査機に出ました。
2018年の嵐では、太陽電池で動くオポチュニティが塵で日光を遮られ、バッテリーを充電できなくなりました。
原子力電池で動くキュリオシティのほうは、ほとんど影響を受けていません(出典: NASA・10 Things: Massive Dust Storm on Mars)。
電源方式の選択が、そのまま生存確率になった例です。
全球的な磁場と厚い大気がなく、宇宙放射線が地表に届く
地球にいる限り放射線をあまり意識せずに済むのは、地球が二重に守られているからです。
ひとつは全球を包む磁場、もうひとつは厚い大気。
火星にはこのどちらもありません。
惑星規模の磁場は検出されておらず、確認されているのは局所的な古い残留磁場だけです(出典: NASA/JPL・Mars at a Glance)。
ここでいう宇宙放射線とは、太陽や宇宙の他の場所から飛んでくる高エネルギーの粒子を指します。
NASAはこれを深宇宙の危険として挙げ、がんや変性疾患のリスクを高める要因だと説明しています(出典: NASA・Artemis as an Astronaut Testbed for Mars)。
厳密には異なりますが、イメージとしては次のように考えると分かりやすいです。
地球は磁場という傘と大気という屋根の二重構造の下にあり、火星は傘も屋根もない場所に立っている状態です。
この違いが意味するのは、火星では遮蔽が「あると安心なもの」ではなく、居住設計の前提条件になるということです。
どこに拠点を置くか、どれだけの厚みの壁を用意するか、地下を使うかが、最初の設計変数になります。
では具体的にどれだけ浴びるのか。
実測にもとづく数字は、次の章で扱います。


人が住み続けるために解決が必要な技術課題
ここから論点が変わります。
「行けるか」ではなく「住み続けられるか」を、5つの課題に分けて整理します。



行きっぱなしなら、ぼくのような機械でもできるよ。人が住み続けるとなると、話の難しさが一段変わるんだ。
人と物資を運ぶ大型輸送機と着陸技術の確立
最初の壁は、着陸です。
NASAラングレー研究センターのミシェル・マンク氏らは、有人火星ミッションの降下・着陸について「数十トン規模の大質量を減速させるには、まだ実証されていない方法が必要になる」と述べています(出典: NASA NTRS・Entry, Descent, and Landing for Human Mars Missions)。
無人探査機の着陸実績があるのに、なぜ改めて課題になるのか。
運ぶ質量の桁が違うからです。
前章で触れたとおり、火星の大気は地球の100分の1未満しかありません。
空気抵抗で稼げる減速量が小さいため、質量が増えるほど従来の方式が通用しなくなります。
候補として検討されているのは、剛体の耐熱シェル、膨張式の減速装置、そして超音速の段階でエンジンを逆向きに噴かす超音速逆推進です。
同資料は、超音速逆推進の技術成熟度がまだ低く、噴流と気流の干渉や機体の安定性に未解決の課題が残ると指摘しています。
しかも試行の機会が限られます。
出発の好機は約26か月に1回しか来ないため(出典: NASA・Mars Mission Timeline)、実機での試行錯誤を短期間で回せません。
信頼性設計を仕事にしてきた方なら、この条件の厳しさが分かりやすいでしょう。
試験回数を稼げない前提で、初回から成立させる設計が求められます。
被ばくを抑える遮蔽と滞在計画の設計
被ばく量については、推測ではなく実測にもとづく試算があります。
火星探査車キュリオシティに搭載された放射線量計測器RADが、往路の飛行中と火星の地表で計測を続けてきました。
その結果、往路180日・滞在500日・復路180日というNASAの参照ミッションでは、宇宙船の遮蔽の内側で約1シーベルトの被ばくになると見積もられています(出典: NASA・Radiation Exposure Comparisons with Mars Trip Calculation)。
シーベルトは、放射線が生体組織に与える影響を表す単位です。
内訳も見ておきます。
NASAは、往路・滞在・復路の3つの段階からの寄与がほぼ同程度になると説明しています(出典: 同)。
「火星にいる間だけ危ない」わけでも、「移動中だけ危ない」わけでもありません。
この数字は、危険か安全かを決めつけるための値ではありません。
遮蔽をどれだけ持つか、滞在を何日にするか、いつ出発するかという設計変数を動かせば、結果は変わります。
NASAが深宇宙放射線をがんや変性疾患のリスク要因として挙げている以上(出典: NASA・Artemis as an Astronaut Testbed for Mars)、許容水準の設定は工学だけでなく制度と倫理の判断も含む話になります。
酸素・水・燃料を火星の現地資源から作る技術
必要なものをすべて地球から運ぶ方式では、質量が破綻します。
そこで前提になるのが、現地資源利用(ISRU)という考え方です。
持っていくのではなく、その場にある材料から作る、という発想の切り替えです。
この分野で最も具体的な成果が、パーサヴィアランスに搭載されたMOXIEです。
電子レンジほどの大きさのこの装置は、火星の薄い大気から取り込んだ二酸化炭素の分子ひとつひとつから酸素原子を分離します。
2021年の着陸以降、合計122グラムの酸素を生成しました。
最も効率のよい状態では1時間あたり12グラムを作り、純度は98%以上に達しています。
運転回数は計16回で、最後の運転となった8月7日には9.8グラムを生成しました(出典: NASA・MOXIE Completes Mars Mission)。
ただし122グラムという量は、人の居住や帰還用の推進剤に必要な規模とは桁が違います。
NASA自身も、MOXIEを「人類が火星で生き延び、火星を離れるために使える技術の史上初の実証」と位置づけています(出典: 同)。
実証段階であることと、実用規模に達していることは別の話です。
水についても同じ構図です。
極域の地表直下に水の氷があることは確認されていますが(出典: NASA・Mars Facts)、それを掘り出して精製し、生活と推進剤の系に流し込む一連の設備は、まだ火星で動いていません。
プロセス制御や化学プラントの経験がある方にとっては、原理より運転の安定性のほうが難所だと想像がつくところでしょう。
食料生産と閉鎖環境での生命維持システム
往復で最大3年という期間になると、補給便を前提にできません(出典: NASA・Artemis as an Astronaut Testbed for Mars)。
NASAは、長期の飛行では包装済み食品のビタミンが時間とともに分解し、乗員の健康上の問題になると指摘しています(出典: NASA・Growing Plants in Space)。
そのため宇宙で野菜を育てる研究が進められています。
国際宇宙ステーションでは、レタス3種、白菜、ミズナ、赤ロシアケール、ジニアの花が栽培されました。
2018年11月28日には、セリーナ・オニョン゠チャンセラー宇宙飛行士が赤ロシアケールとドラグーンレタスを収穫しています(出典: 同)。
栽培装置Veggieの目的は、微小重力下の植物の生育を調べつつ、新鮮な食料と生活の質を乗員に届けることです(出典: NASA・VEGGIE)。
空気と水を回す側でも進展がありました。
国際宇宙ステーションの環境制御・生命維持システムは、水の98%回収を達成しています。
回収元は、呼気と汗から出た湿気、真空蒸留で処理した尿、そしてその残りの濃縮塩水です。
ジョンソン宇宙センターの生命維持担当マネージャーは「100ポンドの水を集めたとして、失うのは2ポンド。残りの98%はずっと回り続ける」と説明しています(出典: NASA・Water Recovery Milestone on ISS)。
ただし、これらはいずれも地球低軌道での実績です。
火星の重力と塵と温度環境で同じ性能が出るかは、まだ確かめられていません。
通信の遅延と医療・心理面という人間側の制約
技術課題の最後は、人間側の制約です。
通信は光の速さを超えられません。
NASAによれば、火星が最接近する約3500万マイルの距離でも片道の遅延は約4分、最も離れる約2億5000万マイルでは約24分になります。
乗員はメッセージが管制に届くまで4分から24分待ち、返事を受け取るまでにさらに同じだけ待つことになります(出典: NASA・Space Communications: 7 Things You Need to Know)。
ソフトウェアや制御に携わった経験があれば、この条件の意味はすぐ見当がつきます。
往復で最大48分の遅延がある系では、地上からのリアルタイム操作は成立しません。
異常検知も判断も復旧も、機上と現地で完結させる必要があります。
遠隔監視ではなく、自律運用とフェイルセーフ設計が前提になります。
同じ制約が、医療にもかかります。
NASAは、通信の遅延があるため乗員は医療上の緊急事態に自力で対処する必要があると述べています。
あわせて、限られた資源の閉じた空間で暮らすことによる睡眠・対人関係・意思疎通の問題も、対処すべき危険として挙げられています(出典: NASA・Artemis as an Astronaut Testbed for Mars)。
機械の信頼性だけでなく、人の側の持続可能性が設計対象になる、という点がこの課題の特徴です。


各国と民間の火星計画は有人到達の時期を確定していない
最も知りたいのは「いつ行けるのか」でしょう。
公開情報を確認する限り、有人到達の時期は確定していません。
月での実証を経て火星を目指す国際的なロードマップ
現在の国際的な流れは、月を経由する形になっています。
NASAはアルテミス計画について、月探査を火星に向けた実証の場と位置づけ、地上の模擬環境と国際宇宙ステーションの研究の上に積み上げる段階的な方法をとると説明しています(出典: NASA・Artemis as an Astronaut Testbed for Mars)。
日本側の記述も同じ方向です。
JAXAは月周回有人拠点ゲートウェイを「持続的な月面探査に向けた中継基地」とし、あわせて「火星有人探査に向けた拠点としての活動も期待されている」と記載しています(出典: JAXA・国際宇宙探査センター)。
注目したいのは、時期の書かれ方の違いです。
同ページでは、ゲートウェイの建設開始を2025年以降、月極域探査機LUPEXを2028年度打上げ目標、有人与圧ローバーを2031年打上げ目標と、月に関する項目には年が入っています。
ところが有人火星探査については、年が示されていません。
つまり現状は、月までは年次の目標があり、火星は「その先の目標」として置かれている構造です。
火星有人到達の年を探しても公式の数字が出てこないのは、情報が隠されているからではなく、まだ確定していないからです。
民間企業の大型輸送機開発と、変動してきた時期の見通し
もうひとつの流れが、民間企業による大型輸送機の開発です。
再使用できる大型機が実用化されれば、1回あたりの輸送コストの前提が変わります。
前に触れたとおり、有人火星ミッションでは数十トン規模の質量を火星に降ろす必要があり、その方法はまだ実証されていません(出典: NASA NTRS・Entry, Descent, and Landing for Human Mars Missions)。
大型輸送機の開発が注目されるのは、この未実証の領域に正面から取り組むためです。
ただし、時期の見通しは慎重に扱う必要があります。
編集部が確認した範囲では、企業の公式サイトで有人火星到達の確定した期日が示されている例は見つかりませんでした。
報道で目にする年は、企業側が示した見通しであり、確定した予定ではありません。
見通しがずれやすい構造的な理由もあります。
出発の好機は約26か月に1回しか訪れないため(出典: NASA・Mars Mission Timeline)、開発が数か月遅れただけでも、次の機会は2年以上先になります。
少しの遅れが、年単位のずれとして表に出てきます。
企業の発表を読むときは、この周期を頭に置いておくと、数字の意味を取り違えずに済みます。
日本は火星衛星の探査など無人ミッションで関与している
日本が現在関わっている火星関連のミッションは、有人ではなく無人です。
代表例が、火星衛星探査計画MMXです。
火星はフォボスとダイモスという2つの衛星を持っており、MMXはその表層物質を地球に回収するサンプルリターンを想定しています(出典: JAXA・火星衛星探査計画MMX)。
想定されている行程は、2026年度打上げ、2027年度に火星周回軌道投入、2031年度に地球帰還です(出典: 同)。
往復に5年ほどかかる計画で、火星圏への往復がどれだけ長い時間軸の事業かが分かります。
MMXには、探査そのものとは別の位置づけもあります。
JAXAは、火星の衛星について将来の有人火星探査に向けた拠点としての利用可能性を調査するとしています(出典: JAXA・国際宇宙探査センター)。
衛星を経由地として使えるかどうかを、実物を調べて確かめる段階です。
ただし、MMXは人を送る計画ではありません。
日本が火星に関与していることと、日本が有人火星計画を持っていることは別の話です。
サンプルリターンで得られる知見は、将来の有人探査の判断材料にはなりますが、それ自体が有人計画の前段として時期を約束するものではありません。


テラフォーミングは科学的な評価が分かれる構想
「いずれ火星を地球のような星にできる」という話をどう受け止めるか。
現時点の研究がこれにどう答えているかを見ます。
大気を厚くして温める構想と、その前提条件
テラフォーミングとは、惑星の環境を人が住める状態に作り変える構想を指します。
火星について語られる筋書きは、おおむね共通しています。
凍りついた二酸化炭素や鉱物に閉じ込められた炭素を気体として大気に放出し、温室効果で気温を上げ、同時に気圧も上げる、という流れです。
ここでいう温室効果とは、大気中の気体が地表から逃げる熱を捉え、惑星を暖める働きのことです。
狙いは単に暖かくすることではありません。
気温と気圧が一定の条件を超えると、液体の水が地表で安定して存在できるようになります。
水が液体でいられる環境は、生命維持でも農業でも化学プロセスでも前提条件になります。
前提条件の厳しさは、必要な規模から見えてきます。
NASAの説明によれば、火星の太陽からの距離を踏まえると、液体の水が安定するほど気温を上げるには、地球の全大気圧に相当する二酸化炭素の圧力が必要だと推定されています(出典: NASA・Mars Terraforming Not Possible Using Present-Day Technology)。
現在の火星の気圧は地球の100分の1未満です。
つまり100倍以上に増やす話になります。
これは実行計画ではなく、研究上の議論です。
どこかの機関がテラフォーミングの工程表を持っているわけではありません。
現在の火星には利用できる二酸化炭素が足りないとする研究
この構想を具体的に検証した研究があります。
コロラド大学ボルダー校のブルース・ジャコスキー氏と、北アリゾナ大学のクリストファー・エドワーズ氏による論文で、2018年7月30日にNature Astronomyで公表されました(出典: NASA・Mars Terraforming Not Possible Using Present-Day Technology)。
論文名は「Inventory of CO2 available for terraforming Mars」で、書誌情報はNature Astronomy第2巻634〜639ページとして記録されています(出典: NASA ADS)。
使われたのは、火星探査機の約20年分の観測です。
マーズ・リコネッサンス・オービターとマーズ・オデッセイによる炭素を含む鉱物と極冠の二酸化炭素の分布、そしてMAVENによる大気の宇宙空間への流出のデータが組み合わされました。
結論は明確でした。
ジャコスキー氏は「大気に放出したとしても、意味のある温室効果を生むだけの二酸化炭素は火星に残っていない」と述べています。
残っている二酸化炭素の大部分は、取り出しやすい形で存在していないともされます。
利用可能な供給源をすべて動員しても、達成できる気圧は地球の約4〜5%にとどまるという推定です(出典: NASA・Mars Terraforming Not Possible Using Present-Day Technology)。
ただし、この結果を「不可能の証明」と考えるのは行き過ぎです。
NASAのリリース自体が、今日の技術をはるかに超える技術がなければ実現しない、という条件付きの表現をとっています。
また推定は、探査機の観測で把握されている供給源を積み上げたものです。
今後の観測で未知の炭素の貯留が確認されれば、数字は更新されます。
現時点でいえるのは、現在および近い将来の技術では成立しないという評価が示されている、というところまでです。
当面の現実解は閉鎖された居住区で暮らす形の移住
惑星全体を作り変える話と、人が火星で暮らす話は、切り分けて考える必要があります。
各機関が実際に技術を積み上げているのは後者です。
与圧された居住区の内側に地球に近い環境を作り、外の資源を取り込みながら生活を成り立たせる方向になります。
必要な要素は、この記事で見てきたものと重なります。
大気の二酸化炭素から酸素を作る技術は、MOXIEが実証段階まで到達しました。
水は極域の地表直下の氷が資源候補で、閉じた系での再生は国際宇宙ステーションで98%まで来ています。
食料は、軌道上での栽培実験が続いています。



星ごと変えるのは、ぼくが見てきた時間の感覚でも気の遠くなる話なんだ。でも「小さな地球を持っていく」なら、部品はもう少しずつ揃ってきているよ。
この見方に立つと、火星関連のニュースの見方も変わります。
惑星の改造に関する話題は構想や研究の段階、居住区と現地資源利用に関する話題は実証と開発の段階です。
どちらの話をしているのかを見分けられると、期待の置きどころを間違えずに済みます。


よくある質問
まとめ 火星移住は行く技術より住み続ける技術が課題
火星が移住先の候補とされる理由は、到達できる距離にあり、1日の長さが地球に近く、極域に水の氷があり、各国の探査計画に組み込まれているからです。
一方で環境の差は大きく、重力は地球の38%、気圧は100分の1未満、平均気温は約-53℃、全球的な磁場はありません。
技術課題は「行く」より「住み続ける」側に集中しています。
数十トン級の着陸方法は未実証で、参照ミッションの被ばくは約1シーベルトと試算され、酸素の現地生産は122グラムの実証段階です。
有人到達の時期は、どの機関からも確定した形で示されていません。
テラフォーミングについては、現在の技術では成立しないという研究評価が出ています。
火星のニュースに触れたときは、それが実証済みなのか、開発中なのか、構想なのかを分けて考えてみてください。
この視点があると、次に発表される数字の意味も自分で評価できます。
火星の環境の成り立ちや、地球の大気と磁場が果たしている役割から追いかけると、理解がさらに深まります。
出典
- NASA「Mars: Facts」
- NASA/JPL「InSight Landing Press Kit: Mars at a Glance」
- NASA「Radiation Exposure Comparisons with Mars Trip Calculation」
- NASA「NASA’s Oxygen-Generating Experiment MOXIE Completes Mars Mission」
- NASA「Mars Exploration Program: Mission Timeline」
- NASA「Step 3, Artemis: Moon Missions as an Astronaut Testbed for Mars」
- NASA「Space Communications: 7 Things You Need to Know」
- NASA「10 Things: Massive Dust Storm on Mars」
- NASA「NASA Achieves Water Recovery Milestone on International Space Station」
- NASA「Growing Plants in Space」
- NASA「VEGGIE」
- NASA「Mars Terraforming Not Possible Using Present-Day Technology」
- Bruce M. Jakosky, Christopher S. Edwards「Inventory of CO2 available for terraforming Mars」Nature Astronomy, vol.2, pp.634-639(2018年)
- Michelle M. Munk, Alicia M. DwyerCianciolo「Entry, Descent, and Landing for Human Mars Missions」NASA Langley Research Center
- JAXA「国際宇宙探査センター」
- JAXA「火星衛星探査計画 MMX」