プリンキピアは、1687年にアイザック・ニュートンが刊行した本です。
物に力が働いたときの動き方を決める運動の法則と、質量を持つものどうしが引き合う万有引力の法則を、ひとつの体系としてまとめています(出典: 日本天文学会「天文学辞典」プリンキピア)。
この本が大きな意味を持ったのは、それまで別々に扱われてきた地上の落下と天体の運動を、同じひとつの力で説明したところです。
全3編の中身、ペストの流行とハレーの奔走が絡んだ出版の経緯、そして「また戻ってくる」という予想が当たった彗星の話まで、順にたどります。

プリンキピアは、運動と重力を一冊にまとめた1687年の本
正式な書名は『自然哲学の数学的諸原理』
「プリンキピア」は、正式な書名を短く呼んだ通称です。
ラテン語の書名は Philosophiae Naturalis Principia Mathematica です。
日本語では『自然哲学の数学的諸原理』と訳されることが多くなっています(出典: 日本天文学会「天文学辞典」プリンキピア)。
通称の「プリンキピア」は、この書名の Principia(原理)の部分にあたります。
書名にある「自然哲学」は、純粋に思弁的な哲学ではありません。
天文学辞典の説明では、自然界の法則を実験的に探求する、いまの言葉づかいでいう物理学に近い領域を指します。
書名を意味でたどると、「自然のしくみを数学で書き表した原理」といった内容になります。
日本語訳の書名は、出版社によって表記が違います。
講談社から出ている中野猿人訳は『プリンシピア 自然哲学の数学的原理』です。
こちらは「諸原理」ではなく「原理」を採っています(出典: 講談社「プリンシピア 自然哲学の数学的原理 第3編 世界体系」)。
書名を検索したときに複数の表記が並ぶのは、このためです。
運動の法則と万有引力の法則が、ひとつの体系に収まっている
この本の中心にあるのは、性格の違う2種類の法則です。
ひとつは、物に力が働いたときにどう動くかを決める運動の法則。
もうひとつは、質量を持つものどうしが引き合う万有引力の法則です。
天文学辞典は、プリンキピアをこの2つを体系的に論じた古典的な著作と説明しています。
引力の法則だけがあっても、惑星がどんな道筋をたどるかは出てきません。
動き方の法則だけがあっても、惑星をその軌道に保っている力の正体は分かりません。
両方がそろって初めて、「この力が働くから、この動き方になる」という筋道が最後まで通ります。
プリンキピアは、この筋道の順に組み立てられています。
先に運動の決まりを用意し、そこへ引力を当てはめ、最後に太陽系の天体へ持ち込む、という流れです。
ラテン語で書かれ、証明は幾何学で進む
いま原典を手に取っても、中身をすぐに追える読者は多くありません。
理由は2つあります。
ひとつは本文がラテン語で書かれていることで、日本語で内容をたどるには訳書が必要です。
もうひとつは証明の進め方で、原典では幾何学によって議論が組み立てられています。
ケンブリッジ大学計算機研究所の技術報告は、プリンキピアの定理が現在では微積分で証明されることが多いと指摘しています(出典: ケンブリッジ大学計算機研究所 技術報告 UCAM-CL-TR-469)。
そのため、ニュートン自身が用いた幾何学的な手法のほうはあまり知られていない、というのが同報告の見方です。
同報告は、ニュートンの推論が、動きそのものと限りなく小さい量の扱いを含む点で、ユークリッド幾何学(図形を使う古典的な幾何学)の伝統的な枠を超えているとも述べています。
日本語訳では、この差を埋める工夫がされています。
中野猿人訳には、巻末注として微積分の定理による別証明が添えられ、原典で省略された証明の内容も補われています。
読み手は、原典の筋道とは別に、式による筋道もたどれます。
全3編に、何が書かれているのか
プリンキピアは3つの編に分かれ、扱う条件を段階的に現実へ近づけていく順で進みます。

ほしまる抵抗のない空間なんて、現実にはどこにもないよね。それなのに、どうしてそこから始めるんだろう?
第1編『物体の運動』— 抵抗のない空間で法則を立てる
講談社版の第1編は『物体の運動』という書名です。
扱うのは、空気や水のような抵抗がない、理想化した条件のもとでの運動です。
抵抗のない条件から始めると、力と動き方の関係だけを取り出して調べられます。
そのうえで条件を足していけば、現実に近い場合へ一段ずつ進められます。
先に単純な場合をきちんと片づけておくほど、あとから足した要素が何をもたらしたのかも見分けられます。
この順序は第3編の位置づけからも見て取れます。
講談社の紹介によれば第3編は前2編の理論を惑星・衛星・彗星などに当てはめる編で、第1編と第2編はその道具を用意する部分にあたります。
第2編『抵抗を及ぼす媒質内での物体の運動』— 現実の抵抗を加える
第2編の書名は『抵抗を及ぼす媒質内での物体の運動』です。
「媒質」は、水や空気のように、物が中を進むときにまわりを満たしているもののことです。
第1編が抵抗のない条件だったのに対して、この編では抵抗のある中を進む運動を扱います。
水の中を進む物は、次第に速さを失います。
空気中を落ちる物の落ち方も、抵抗の影響を受けます。
理想の条件で立てた法則を、現実の条件へどう持ち込むか。
第2編は、その一段階を受け持っています。
第3編『世界体系』— 惑星・衛星・彗星に当てはめる
第3編の書名は『世界体系』です。
講談社の紹介によれば、この編で前2編の理論が惑星・衛星・彗星などに当てはめられ、太陽系の現象が万有引力の法則で説明されることが示されます。
地上で立てた運動と力の決まりが、そのまま空の上でも通用します。
第3編が受け持つのは、この確認です。
そして全巻の結びには「一般注」が置かれ、そこにニュートン自身の神学が述べられています。
この一般注に出てくるのが、「私は仮説をつくらない」という言葉です。
天文学辞典は、ニュートンがこの著作で「われ仮説をつくらず」と宣言し、観測できる因果関係だけを示す実証主義の立場を取ったと説明しています(出典: 日本天文学会「天文学辞典」ニュートン)。
同じ一文の日本語表記が資料によって違うのは、それぞれ別に訳されているためです。
なぜ「近代科学の出発点」と呼ばれるのか
17世紀の中ごろ、天文学と力学には未解決の大きな問題が2つありました。
落ちるリンゴと回る月を、同じ引力で説明した
京都産業大学図書館は、17世紀中期の天文学・力学における主要問題を2つ挙げています。
ひとつは、ガリレイの落体に関する研究を一般化した力学の根本原理を確立すること。
もうひとつは、天体のあいだに作用する力の性質を求め、惑星の運動に関するケプラーの3法則を説明することです。
この2つを同時に解決した著作として、同館は本書を挙げています(出典: 京都産業大学図書館「アイザック・ニュートン『自然哲学の数学的原理』」)。
2つをつないだのが、万有引力の法則でした。
この法則は、距離 r だけ離れた2つの質点のあいだに働く引力を F=G(mM)/r² と表します(出典: 日本天文学会「天文学辞典」万有引力(重力)の法則)。
「質点」は、大きさを考えずに点として扱う物体のことです。
力の大きさは2つの質量の積に比例し、距離の2乗に反比例します。
この式には、地上の物か天体かという区別がありません。
手から離れた物が地面へ落ちるときも、月が地球のまわりを回り続けるときも、同じ形の力で扱えます。
古代ギリシャのアリストテレス以来、地上と天上の世界は別々の法則に従うと考えられてきました。
2000年近く続いたその世界観が、ひとつの式で塗り替えられたことになります。


なお、万有引力定数 G そのものを精密に測るのは難しい一方で、この定数と天体の質量をかけ合わせた値は、観測から高い精度で決められます。



地上の落下と天体の動きが同じ力だとして、それまで天文学が観測から突き止めていたことは、どうなるんだろう?
ケプラーが見つけた惑星の規則が、引力から導ける
ケプラーの法則は、惑星の動き方についての3つの決まりです。
天文学辞典は、ティコ・ブラーエによる惑星の観測データをケプラーが解析して発見したものだと説明しています(出典: 日本天文学会「天文学辞典」ケプラーの法則)。
内容は次の3つです。
第一法則
惑星は太陽をひとつの焦点とし、惑星によりそれぞれ決まった形と大きさの楕円軌道上を公転します。(楕円軌道の法則)
第二法則
太陽と惑星を結ぶ線分は、等しい時間には惑星ごとにそれぞれ等しい面積をおおいながら公転します。(面積速度一定の法則)
第三法則
惑星の太陽からの平均距離の3乗と公転周期の2乗との比は、惑星によらず一定です。(調和の法則)
「焦点」は、楕円の形を決める基準となる2つの点です。
太陽はそのうちの片方にあり、楕円の中心ではありません。


いずれも観測データから取り出された決まりです。
天文学辞典は、万有引力の法則とニュートンの運動方程式から、惑星の運動に関するケプラーの法則はすべて明快に説明付けられると述べています。
観測から取り出された3つの決まりが、より少ない前提から出てくる形になりました。
3つはそれぞれ独立した経験則としてではなく、ひとつの力の法則から出てくる結果として並び直されたことになります。
運動の3法則は、いまの物理の教科書の土台になっている
プリンキピアで示された運動の法則は、3つあります(出典: 日本天文学会「天文学辞典」ニュートン力学)。
- 第1法則(慣性の法則)は、力が作用していない物体は静止または等速直線運動を続ける、という決まりです
- 第2法則(運動の法則)は、物体の運動量の変化が作用する力に比例し、力の方向に起こる、という決まりです
- 第3法則(作用反作用の法則)は、2つの物体が力を及ぼしあうとき、働く力は大きさが等しく向きが反対になる、という決まりです
「運動量」は、物体の質量と速度をかけ合わせた量です。
第2法則は、F=ma という式でも書かれます。
同じ大きさの力を加えても、質量が大きいものほど加速度は小さくなる、という関係です。


これらは、いま力学を学ぶときに最初に出てくる項目とそのままつながっています。
現在の国際単位系(SI)で力の計量単位に使われる「ニュートン(記号 N)」も、彼の名にちなんでいます。
ペスト禍の閉鎖とハレーの奔走で、1687年に世に出た
大学が閉じ、故郷に戻った1年半に発見が集中した
1665年、ヨーロッパをペストが襲い、ニュートンが在籍していたケンブリッジ大学は閉鎖されました(出典: 明星大学図書館 貴重書コレクション「プリンキピア(自然哲学の数学的原理)」)。
22〜23歳のニュートンは、故郷の村ウールスソープへ戻ります。
大学を離れたその場所で、ひとり研究に没頭する日々が始まりました。
同館の記述によれば、このわずか1年半ほどの間に、微分積分、光学、万有引力といったニュートンの主要な発見や証明が行われました。
どれも、ひとつだけで科学史に名を残せる仕事です。
ニュートンの代表的な業績が、20代前半の若者の手で、この短い期間にほぼ出そろったことになります。
この時期は、のちに「驚異の年」とも呼ばれるようになりました。
ただし、ここで生まれた発見は、すぐには世に出ていません。
1冊の本にまとまるまでには、そこから約20年を待つことになります。
ハレーが原稿を引き出し、印刷までを引き受けた
原稿を本の形に運んだのは、天文学者のエドモンド・ハレー(Edmond Halley, 1656-1742)でした。
きっかけは1684年、ハレーがニュートンを訪ねたことでした。
当時、「惑星が受ける引力は距離の2乗に反比例する」というところまでは、ハレーやロバート・フックらが見当をつけていました。
ところが、そこから惑星の軌道を数学で導き出せた人はいなかったのです。
ハレーは尋ねます。「距離の2乗に反比例する引力を太陽から受ける天体は、どんな軌道を描くのか」。
ニュートンは即座に「楕円になる」と答えました。
実はニュートンは、この問題を以前に計算して、答えを知っていたのです。
ほどなくハレーのもとに、その証明をまとめた論文が届きます。
誰も解けなかった問題が解けているのを見たハレーは、研究を世に出すようニュートンに強く勧めました。
王立協会は、イギリスの科学の学術団体です。
その記録によれば、ニュートンは1686年4月末に第1編を協会へ提出し、印刷の指示はその1か月のうちに出されました(出典: The Royal Society「Principia」)。
同協会によれば、ハレーはまずニュートンからわずか数ページの論文を引き出し、それがハレーの粘り強い働きかけのもとで、プリンキピアへと育っていきました。
続きの原稿を待ち、本の形にまで運ぼうとする人が、書き手の外側にいました。
出版までの道のりは、平坦ではありませんでした。
フックが、第1編の内容の一部は自分が先に見つけたものだと言い出したのです。
嫌気がさしたニュートンは、執筆中だった第3編の出版を取りやめようとします。
このときも間に入って争いを収めたのはハレーで、原稿は出版へこぎ着けました。
『魚の歴史』で資金が尽き、ハレーが自腹を切った
出版の約束は、いちど危うくなります。
王立協会は1686年の本『Historia Piscium(魚の歴史)』に、豪華な図版を入れて資金を注ぎ込みました。
この本は売れず、協会は破産寸前まで追い込まれます(出典: The Royal Society「The fishy blunder that nearly prevented Newton’s masterpiece from being published」)。
その結果、協会はニュートンの著作の出版を支えるという約束を果たせなくなりました。
このときプリンキピアの出版資金を集めたのがハレーで、その多くを自分の財布から出しています。
魚の図鑑に注ぎ込んだ資金が、のちに科学史へ残る一冊の出版を危うくし、協会が出せなくなった費用は個人の負担で埋められました。
刊行後も改訂は続き、第2版と第3版が出た
「プリンキピア」と呼ばれる本は、1687年の初版だけではありません。
オックスフォード大学の The Newton Project は、旧ブリタニカ百科事典のニュートン項目を公開しています。
その記述によれば、初版が売り切れたあと、友人たちが新版の準備をニュートンに促しました(出典: The Newton Project(オックスフォード大学)「Encyclopaedia Britannica entry on Newton」)。


ケンブリッジで天文学の教授職にあったロジャー・コーツが出版の監修を引き受け、作業は1713年の春に完了しています。
同項目は、ニュートンとコーツのあいだで交わされた手紙が300通近くにのぼったと記しています。
第2版はよく売れ、1722年には第3版が求められました。
コーツはすでに亡くなっていたため、ニュートンはペンバートン博士に監修を任せ、第3版は多数の改訂を加えて1726年に出ています。
ニュートンが亡くなったのは、その翌年の1727年3月です。
日本では、京都産業大学図書館が1713年の第2版を所蔵しています。
「プリンキピアに何が書いてあるか」を確かめるときは、どの版を指しているかで中身が変わります。
予想が当たった証拠、ハレー彗星の回帰
出版を支えたハレーの名は、いまも空に残っています。
ハレーは彗星の軌道を計算し、また戻ってくると考えた
ハレー彗星の名は、この彗星の軌道を求めて回帰を予想したハレーにちなんでいます(出典: 日本天文学会「天文学辞典」ハレー彗星)。
正式な符号は 1P/Halley です。
ハレーはニュートン力学を使って1682年に現れた大彗星の軌道を計算し、この彗星が細長い楕円軌道を回って周期的に戻ってきていると気づきました。
そして、1758年ごろにふたたび姿を現すと予言します。
ハレー自身は、その年を見ることなく1742年に亡くなりました。
1758年の暮れ、彗星は予言どおり夜空に戻ってきます。
ハレーが出したのは現象の後付け説明ではなく、まだ起きていない出来事の予言で、それが本人の死後に当たったのです。
観測から法則を立て、その法則で次に起きることを計算し、実際の空で答え合わせをする。
プリンキピアが用意したのは、この流れを回すための道具でした。
公転周期は75.3年、次の回帰は2061年の予定
ハレー彗星は、公転周期75.3年の長楕円逆行軌道を回っています。
「長楕円」は細長い楕円のことです。


黄道は、地球が太陽を公転する軌道面を天球に投影した大円です。
太陽を公転する天体の場合、この黄道の北極方向から見て時計回りに公転することを逆行といいます(出典: 日本天文学会「天文学辞典」逆行)。
惑星はいずれも反時計回りに公転しているので、ハレー彗星はその逆向きに回っていることになります。
次の回帰は2061年の予定です。
ただし75.3年は平均的な値で、回帰の間隔が毎回きっちり同じ年数になるわけではありません。
前回の回帰は1986年で、このときは複数の探査機が観測に向かいました。
日本からは「すいせい」と「さきがけ」が向かい、すいせいは彗星核の自転周期を2.2日と測定しています。
旧ソ連の「ベガ」も観測を行いました。


ESA(欧州宇宙機関)のジオットは、彗星核の撮像に初めて成功しています。
「彗星核」は、彗星の本体にあたる部分です。
ハレーが軌道を求めた彗星の核を、のちの探査機が間近から撮影しました。
「次に何が起きるか」を言えることが、理論の強さになる
すでに観測された現象をあとから説明するだけなら、説明の仕方はいくつも用意できます。
ハレーがしたのは、それとは違う種類の作業でした。
軌道を計算し、まだ起きていない回帰を前もって示し、その後の空で確かめられる形にしています。
万有引力の法則についても、同じことがいえます。
すでに知られていたケプラーの法則を説明でき、そのうえで、まだ観測されていない出来事についても計算で示せます。
確かめられる予想を出せる理論は、当たったか外れたかを外から検証できます。
ハレー彗星の場合、予想された回帰は実際に繰り返され、いまも次の回帰の年が示されています。
ニュートン力学が通用する範囲と、その外側
原子の世界と、光速に近い運動では合わなくなる
20世紀に入って、ニュートン力学では説明できない対象が見つかりました。
天文学辞典によれば、原子スケールの粒子のふるまいと、光速に近い速さの物体の運動が、それにあたります。
前者に対して用意されたのが量子力学、後者に対して用意されたのが相対性理論です。
同辞典は、量子力学が波動方程式で記述される現象を扱い、相対性理論がアインシュタインの理論を基礎として光速付近での運動を説明すると記しています。
「波動方程式」は、対象のふるまいを波の形で表す方程式です。
日常で目にする物の動きや、天体の運動を扱うときに、この食い違いは表に出てきません。
差が見えるのは、極端に小さい対象か、極端に速い運動を扱う場面です。


それでも「古典力学」として使われ続けている
限界が分かったことで、ニュートン力学は「古典力学」と呼ばれるようになりました。
この呼び名は、役目を終えたという意味ではありません。
扱う対象が日常のスケールの物や天体の運動であれば、ニュートン力学はいまも有効なままです。
新しい理論に置き換えられて消えたのではなく、どこまで使えるかの範囲がはっきりした、と捉えるほうが実際に近い整理です。
300年以上前に書かれた本の内容が、適用できる範囲の分かったうえで、いまも使われ続けています。
よくある質問
まとめ
プリンキピアは、地上の落下と天体の運動を同じ法則で扱えるようにした本です。
その体系は、適用できる範囲の中で、いまも使われ続けています。
分かっていること
- 1687年にニュートンが刊行し、運動の法則と万有引力の法則を体系的に論じた本です
- 日本語訳は全3編で、抵抗のない条件、抵抗のある媒質、太陽系への適用、という順に進みます
- 万有引力の法則とニュートンの運動方程式から、ケプラーの法則はすべて説明できます
- 出版は王立協会の財政難で危うくなり、ハレーが資金の多くを自分で負担しました
- ハレーが回帰を予想した彗星は、いまも周期的に戻ってきています
数字や版を見るときの注意
- 「プリンキピア」には1687年の初版のほか、1713年の第2版と1726年の第3版があり、版によって内容が違います
- ハレー彗星の公転周期75.3年は平均的な値で、回帰の間隔が毎回同じ年数になるわけではありません
- ニュートンの生年は、ユリウス暦では1642年12月25日、グレゴリオ暦では1643年1月4日にあたり、資料によって表記が違います
夜空を回る天体と、手から落ちる物。
この2つが同じ式で書けると示された1687年から、いまの力学の教科書までが地続きになっています。
出典
- 日本天文学会「天文学辞典」プリンキピア
- 日本天文学会「天文学辞典」ニュートン
- 日本天文学会「天文学辞典」万有引力(重力)の法則
- 日本天文学会「天文学辞典」ニュートン力学
- 日本天文学会「天文学辞典」ケプラーの法則
- 日本天文学会「天文学辞典」ハレー彗星
- 日本天文学会「天文学辞典」逆行
- 講談社「プリンシピア 自然哲学の数学的原理 第3編 世界体系」
- 明星大学図書館 貴重書コレクション「プリンキピア(自然哲学の数学的原理)」
- 慶應義塾大学メディアセンター「三田所蔵 貴重書:ニュートン『自然哲学の数学的諸原理』」
- 京都産業大学図書館「アイザック・ニュートン『自然哲学の数学的原理』」
- The Royal Society「Principia」
- The Royal Society「The fishy blunder that nearly prevented Newton’s masterpiece from being published」
- The Newton Project(オックスフォード大学)「Encyclopaedia Britannica entry on Newton」
- Jacques Désiré Fleuriot「A combination of geometry theorem proving and nonstandard analysis, with application to Newton’s Principia」University of Cambridge Computer Laboratory, Technical Report UCAM-CL-TR-469, 1999