「宇宙の果て」と聞くと、そこから先には何もない行き止まりのような場所を思い浮かべるかもしれません。
けれど天文学でいう果ては、そのような壁のことではありません。
私たちが光を使って見通せる範囲の、いちばん外側の縁を指しています。
どの方向を見ても、その縁までの距離は138億光年です(出典: 国立天文台「宇宙の果てはどうなっているの?」)。
光年は光が1年かけて進む距離なので、これは光が138億年かけてやってきた距離にあたります。
なぜその距離で見えなくなるのか、資料によって450億光年と書かれているのはなぜか、そして縁の先には何があるのか。
この3つを順に整理します。
宇宙の果てとは、光が届く範囲の限界のこと
そこから先は何もない、という壁は見つかっていない
日本語の「果て」は、道の行き止まりや土地の端のような、境目のある場所を思わせます。
宇宙の果てという言葉も、その感覚のまま受け取られやすいところがあります。
国立天文台は、この点をはっきり否定しています。
138億光年の先について、そこから先には宇宙がなくなってしまうような境目と思ってしまうかもしれないが、そうではない、と説明しています。
果てが指しているのは、宇宙という空間の端ではありません。
私たちのところまで光が届いてくる範囲の、その外側の縁です。
縁の内側と外側で宇宙の性質が変わるわけではなく、変わるのは見えるかどうかだけです。
近いのは、海の上から眺めたときの水平線です。
視界は水平線で途切れますが、そこに海の終わりがあるわけではありません。
それより先からは、光がこちらに届かないというだけです。
天文学でも、観測できる範囲の境界を「宇宙の地平線」と呼びます(出典: 日本天文学会 天文学辞典「地平線(宇宙の)」)。
ただし、水平線が生まれるのは地球が丸いからで、宇宙の地平線の理由はそこにありません。
効いてくるのは、光の速さと、宇宙が始まってからの時間です。

遠くを見るということは、昔の姿を見るということ
光には速さの上限があり、どれほど遠くからでも一瞬では届きません。
遠くの天体を見るとき、目に入っているのはその天体の「いま」の姿ではありません。
光がこちらへ旅していた時間のぶんだけ、過去の姿です。
国立天文台は、120億光年彼方の天体を例に挙げています。
その光が旅に費やした時間は120億年です。
宇宙が誕生したのは138億年前なので、届いた光が出発したのは、宇宙誕生から18億年しか経っていない頃になります。
120億光年彼方を観測することは、宇宙が誕生してからわずか18億年しか経過していない、初期の頃の天体の姿を見ることにあたります。

距離と時間が言い換えの関係になっているところが、宇宙を見るときの独特な点です。
遠くを見るほど、宇宙の若い時代がのぞけます。
望遠鏡は遠くを見る道具であると同時に、過去を見る道具でもあります。
見える範囲に限りがあるのは、宇宙に年齢があるから
見える範囲に限界が生まれるのは、光がこちらへ旅できた時間に上限があるからです。
宇宙が誕生したのは138億年前です。
それより長く旅を続けた光は、そもそも存在しません。
国立天文台は、138億光年より遠いところを見ようとしても、そこには天体はおろか宇宙そのものがなかったのだから、なにも見えるはずがない、と説明しています。
そのうえで、どの方向を見ても138億光年の距離が「宇宙の果て」だといえる、としています。
宇宙の年齢そのものは、より細かい値でも見積もられています。
プランク衛星の最終的なデータ解析による値は137.97億年です(出典: Planck Collaboration「Planck 2018 results. VI. Cosmological parameters」)。
誤差は前後0.23億年、およそ2300万年です。
この限界は、望遠鏡の性能で決まっているものではありません。
どれほど感度の高い望遠鏡でも、まだ届いていない光は集められません。
見える範囲の広さを決めているのは、道具ではなく、光の速さと宇宙の年齢です。
138億光年と450億光年、どちらも同じ果てを指している
宇宙の果てまでの距離は、資料によっては450億光年と書かれています。
2つの数字は、どちらも同じ縁までの距離です。
違うのは測り方だけで、指している場所は変わりません。
国立天文台は、この食い違いを距離の定義の違いとして補足しています。
次の表の値は、そのページの表記によります。
| 距離の測り方 | 何を測った長さか | 宇宙の果てまでの値 |
|---|---|---|
| 光行距離 | 光が旅に費やした時間に、光の速さを掛けた長さ | 138億光年 |
| 固有距離・共動距離 | ある時刻に空間を測ったときの隔たり | 450億光年 |
光が旅した時間で測ると138億光年
光行距離は、光が天体を出てから私たちに届くまでにかかった時間に、光の速さを掛けた長さを、その天体までの距離とみなしたものです。
国立天文台によれば、120億年かかって届いた光なら、その天体までの距離は120億光年と表されます。
この測り方は、光の旅の記録をそのまま距離に置き換えたものです。
「何年かけて届いたか」がそのまま「何光年か」になるので、届いた光の古さと距離の数字が一対一で対応します。
ニュースや解説記事で「◯◯億光年かなたの銀河」という表現を見かけたとき、その多くはこの光行距離です。
先ほどの「遠くを見ることは過去を見ること」という話と、そのまま噛み合う測り方でもあります。
138億光年という値も同じ考え方によるもので、光が旅に費やせる時間の上限が、そのまま距離の上限になっています。
今この瞬間の位置で測ると約450億光年
もうひとつの測り方は、光の旅の時間ではなく、空間そのものの隔たりを測ります。
固有距離は、相対性理論において、2つの出来事が同時刻に起こる座標系での空間的な距離を指します(出典: 日本天文学会 天文学辞典「固有距離」)。
噛み砕くと、「いま同時に測ったとしたら、どれだけ離れているか」という測り方です。
国立天文台は、宇宙の果てまでの距離が450億光年と書かれている場合についても補足しています。
その「距離」は光行距離ではなく、固有距離や共動距離など別の考え方による値だと考えられる、という説明です。
同じ縁を指す値でも、資料によって幅があります。
日本天文学会の天文学辞典は、現在の粒子的地平線の半径を共動距離で約14ギガパーセク、光年に直して460億光年としています(出典: 天文学辞典「地平線(宇宙の)」)。
ギガパーセクは天文学で使う距離の単位で、同じ長さを光年で書き直したものが460億光年です。
450億光年と460億光年のどちらかが誤りというわけではなく、この測り方による値には資料ごとにこの程度の幅がある、と受け取るのが実態に近い捉え方です。
ほしまる同じ場所までの距離なのに、数字が3倍以上も違うのはどうしてなんだろう?


差が生まれるのは、光が旅する間も空間が広がっていたから
差の理由は、宇宙が膨張していることにあります。
国立天文台は、遠くの銀河が遠ざかって見える現象について、銀河が動いているのではなくて、銀河と銀河の間の宇宙空間が膨張しているのだと説明しています(出典: 国立天文台「膨張する宇宙とビッグバン」)。
銀河そのものが宇宙の中を飛んでいるのではなく、銀河と銀河の間隔そのものが伸びています。
ここに、光の長い旅を重ねます。
光がこちらへ向かって進んでいる間も、空間は広がり続けていました。
つまり光は、出発したときよりも間隔の広がった空間を、進みながら渡ってきたことになります。
すると、2つの「距離」がずれます。
光が旅に費やした時間から計算した長さは、138億光年です。
一方、その光を出した場所がいまどこにあるかを測ると、旅の間に広がったぶんだけ遠くへ移っています。
だから、いまの隔たりで測った値のほうが大きくなります。
数字が3倍以上に膨らむのは、この差が138億年という長い時間ぶん積み重なるからです。
2つの値は、同じ縁について「光が旅した時間で測るか」「いまの隔たりで測るか」という、ものさしの違いを表しています。


見える限界のいちばん奥にあるのは、38万年後の光
果ての方向をどこまでものぞき込んでいくと、最後に見えてくるのは天体ではありません。
宇宙が晴れ上がるまで、光はまっすぐ進めなかった
宇宙の初期には、光がまっすぐ進めない時代がありました。
高温のために電子が原子核に束縛されずばらばらに飛び回っていて、光はその電子にぶつかっては向きを変えていたためです。
遠くからの光がこちらへ届かないので、外から見れば不透明な状態です。
この状態が変わったできごとを、天文学では「宇宙の晴れ上がり」と呼びます。
温度が3000K程度まで下がると、自由電子が原子核に束縛されて原子になり、光が散らされずに直進できるようになりました。
Kは絶対温度の単位で、およそマイナス273℃を0とする目盛りです。
日本天文学会の天文学辞典は、宇宙の晴れ上がりを、ビッグバンによる宇宙誕生の約38万年後のできごとと定義しています。
たとえて言えば、濃い霧がかかったようになにも見えなかった状態から、霧が晴れてくっきり景色が見える状態へと宇宙の状態が変化したことだ、という説明です(出典: 日本天文学会 天文学辞典「宇宙の晴れ上がり」)。
光で宇宙を見るかぎり、この霧より手前はのぞけません。
見える範囲の限界が138億光年だとしても、実際に光で見通せる最も古い時代は、宇宙誕生の瞬間ではなく、そこから約38万年経った頃になります。



じゃあ、そのとき霧の中から飛び出していった光は、いまどこにあるんだろう?


その最初の光が、いまも空全体から届いている
晴れ上がりのときに放たれた光は、いまも宇宙を旅し続けています。
そして、いまも地球に届いています。
ただし、放たれたときの姿のままではありません。
宇宙が膨張するあいだに波長が引き伸ばされ、マイクロ波の波長域まで移りました。


天文学辞典は、この光を宇宙の晴れ上がりの時点から届く黒体放射とし、温度は約3K、正確には2.725±0.001Kだとしています(出典: 日本天文学会 天文学辞典「宇宙マイクロ波背景放射」)。
黒体放射は、ある温度の物体が出す光の分布のことで、温度が決まれば波長ごとの明るさの配分も決まります。
放たれた当時は3000K程度だった光が、いまは3K近くまで冷えた姿で届いている、という関係になります。
ESAは、プランク衛星がとらえたこの光を、宇宙が38万歳のときに刻まれた、宇宙で最も古い光の全天画像だとしています(出典: ESA「Planck reveals an almost perfect Universe」)。
この光は、空のどこか一箇所から来ているわけではありません。
空全体から、ほぼ同じように降り注いでいます。
果ての方向を見たときに最後に見えるものは、遠くにそびえる壁ではなく、あらゆる方向を一様に覆っているこの放射です。
天文学辞典は、この放射に10万分の1ほどのわずかな温度のむらがあり、それが宇宙初期の密度のゆらぎを示す手がかりになったことにも触れています。
このむらを手がかりに、宇宙の年齢や性質が見積もられてきました。


果ての先には、何が広がっているのか
見える範囲の縁までは、ここまでで一通り追えました。
残るのは、その外側がどうなっているのかです。
観測できる範囲は、どこに立っているかで変わる
天文学辞典は、因果関係を持てる範囲の境界となる球面を宇宙の地平線と呼んでいます。
そのうち、ある任意の場所と時刻において、それより過去からの情報を得ることのできるその時刻の空間的範囲の境界を、粒子的地平線と定義しています(出典: 天文学辞典「地平線(宇宙の)」)。
この定義は「ある任意の場所と時刻において」から始まっています。
果ては宇宙のどこか一箇所に固定された場所ではありません。
観測する側を中心とした球の、その縁として決まります。
地球から見た果ては、地球にいる私たちにとっての縁です。
どの方向を見ても同じ距離が限界になるのも、これで説明がつきます。
中心にいる私たちから見れば、どちらを向いても球の縁までの距離は同じだからです。



ぼくは40年かけて太陽系を巡ったけれど、そのくらい動いたところで、果てまでの138億光年はびくとも変わらないんだ。
別の銀河から見れば、果ての位置も別のところになる
観測する側が変われば、球の中心も変わります。
別の銀河にいる観測者にとっての果ては、その銀河を中心とした球の縁です。
地球から見た果てとは、別の位置になります。
この見え方の対称性は、膨張する宇宙の性質から素直に出てきます。
国立天文台は、すべての銀河がお互いに離れ続けるのならば、どの銀河から観測しても他の皆が離れていくように見えると説明しています。
天文学者はこの結果から、天の川銀河が特別な存在ではないと気づいた、としています(出典: 国立天文台「膨張する宇宙とビッグバン」)。
宇宙の中心にいるように見えるのは、私たちがここから見ているからです。
同じことが、どの場所の観測者にも当てはまります。
宇宙に特別な中心はなく、果ても宇宙に1つだけ存在する境界ではありません。
そして、縁の外側に何もないという意味にもなりません。
外側にも同じような宇宙が続いていると考えられていて、観測で確かめられないというだけです。
見えない理由は、そこに何かが欠けているからではなく、そこからの光がまだこちらに届いていないからです。


宇宙全体の大きさは、まだ決まっていない
ここまでは、見える範囲の話でした。
では、宇宙全体には終わりがあるのでしょうか。
空間の曲がり具合は、観測でほぼ平坦だと分かってきた
観測から見えてきたことのひとつが、空間の曲がり具合です。
天文学辞典は、平坦な宇宙を、空間曲率が至るところゼロで、ユークリッド幾何学が成り立つような宇宙のことだと定義しています(出典: 日本天文学会 天文学辞典「平坦な宇宙」)。
ユークリッド幾何学は、学校で習う図形の性質が成り立つ幾何学です。
三角形の内角の和が180度になり、平行な2本の直線がどこまでも交わらない、あの性質です。
ここでいう「平坦」は、宇宙が板のように薄いという意味ではありません。
空間そのものが曲がっているかどうかを指しています。
空間が曲がっていれば、とてつもなく大きな三角形を宇宙に描いたとき、内角の和が180度からずれます。
プランク衛星による宇宙マイクロ波背景放射の観測は、この曲がり具合を測る手がかりになりました。
Planck Collaborationは、最終的な全観測期間のデータによる結果が、空間的に平坦な6つのパラメータからなる標準的なΛCDMモデルとよく整合していると報告しています(出典: Planck Collaboration「Planck 2018 results. VI. Cosmological parameters」)。
ΛCDMモデルは、現在の宇宙論で標準的に使われている宇宙のモデルです。


曲がり具合が分かっても、全体の大きさまでは決まらない
平坦だと測られたことと、宇宙全体が無限だと分かったことは、同じではありません。
測られているのは、私たちが観測できる範囲の性質です。
プランク衛星がとらえたのは、私たちのところへ届いた宇宙マイクロ波背景放射です。
届いた光が語れるのは、その光が通ってきた範囲についてのことに限られます。
その外側でも同じ性質が続いているのかどうかは、観測では確かめようがありません。
外側からの光は、まだこちらに届いていないからです。
宇宙全体が有限なのか無限なのかは、いまのところ決着していません。
見える範囲の縁までの距離は測れますし、その内側の性質も測れます。
けれど全体の大きさは、そこから自動的には決まりません。
宇宙の果てをめぐる話の中で、この線引きが最も混同されやすいところです。
未来に受け取れる情報にも、限りがあると考えられている
では、観測技術が進めば、いつかは外側まで見えるのでしょうか。
ここにも、道具の性能とは別の限界があると考えられています。
天文学辞典は、粒子的地平線と対になる概念として事象的地平線を挙げています。
ある任意の場所と時刻において、それより未来に情報を受け取ることのできるその時刻の空間的範囲の境界だ、というのがその定義です(出典: 天文学辞典「地平線(宇宙の)」)。
これから先、どこまでの情報が自分のところへ届きうるか、という範囲の境界です。
同辞典は、この半径が宇宙の膨張の仕方で変わるとしています。
減速膨張の場合は、どのような遠方の情報でもいつかは届くため、事象的地平線の半径は無限大になります。
加速膨張の場合は、十分遠方の情報が急激な膨張に阻まれていつまで経っても届かなくなり、半径が有限の値になります。
加速膨張が続く場合、その範囲の外側からの情報は、待っても届きません。
より大きな望遠鏡を作っても、届いていない光は集められないという事情は、ここでも変わりません。
どちらの膨張が続くかによって結論が変わるので、未来の見え方をひとつには言い切れません。
よくある質問
まとめ 宇宙の果ては壁ではなく、見える範囲の縁
宇宙の果てという言葉は、行き止まりではなく、光が届く範囲の縁を指しています。
その縁の位置は宇宙の側ではなく、見ている私たちの側で決まります。
分かっていること
- 果ては境目や壁ではなく、光の速さと宇宙の年齢で決まる観測の限界であること
- 138億光年と450億光年は同じ縁までの距離で、光の旅の時間で測るか、いまの隔たりで測るかの違いであること
- 果ての方向でいちばん奥に見えるのは天体ではなく、宇宙誕生から約38万年後に放たれ、いまは約3Kまで冷えた宇宙マイクロ波背景放射であること
- 観測できる範囲の空間は、プランク衛星の結果が平坦なモデルとよく整合する形で測られていること
分かっていないこと
- 宇宙全体が有限なのか無限なのか
- 観測できる範囲の外側でも、内側と同じ性質が続いているのかどうか
- 宇宙の膨張の仕方によって、これから先どこまでの情報が届きうるのか
夜空を見上げたとき、目に入っている光はすべて、それぞれ違う長さの旅を終えて着いたものです。
そのいちばん古い便りが、いまも空全体から静かに降り続けています。
出典
- 国立天文台「宇宙の果てはどうなっているの?」
- 国立天文台「膨張する宇宙とビッグバン」
- 日本天文学会 天文学辞典「地平線(宇宙の)」
- 日本天文学会 天文学辞典「固有距離」
- 日本天文学会 天文学辞典「共動座標」
- 日本天文学会 天文学辞典「宇宙の晴れ上がり」
- 日本天文学会 天文学辞典「宇宙マイクロ波背景放射」
- 日本天文学会 天文学辞典「平坦な宇宙」
- ESA「Planck reveals an almost perfect Universe」
- Planck Collaboration「Planck 2018 results. VI. Cosmological parameters」arXiv:1807.06209